「解釈をとりまくものについて」
南風吹くカレーライスに海と陸 櫂未知子(「カムイ」)
以下、この句を起点にして考察を進めたい。カレーライスのビジュアルを「海と陸」とみなす見立てと季語(季題)の斡旋の妙が高く評価されているようだ。例えば、坪内稔典氏は「カレーがとてもうまそうだ。たらたら流れる汗を南風が快く吹いている感じ。(中略)櫂さんらしい大胆で機知に富んだ見方だ。カレーライスがまるで南風の吹く島みたい。」(船団の会のホームページ「e船団」より引用)と、作家の個性と結びつく技術面として機知の働きを褒めているとともに、カレーを食べることでかく「汗」を連想し、季語「南風」とひきつけて島のイメージを引き出す〈解釈〉をしている。また、林誠司氏は「カレーライスの中に海と陸を見出す眼力は鋭い。(中略)『南風吹く』という季語が一句に大きな息吹を与えている。眼前のカレーライスが、日本の岬や南洋の島々へとみるみる変化してゆき、壮大な地球の力をも読み手に感じさせてくれる。素晴らしいのは、壮大な風景から壮大な一句を詠むのではなく、眼前のたわいないものから壮大な風景を思わせる、その手法である。」(ブログ「俳句のオデッセイ」より引用)と述べる。林氏も、見立てと季語の斡旋を高く評価し、季語の働きで視点が大きく俯瞰的になる〈解釈〉をしている。この二つの解釈の差はその視点の位置である。坪内氏の眼は水平に近くあり、林氏の眼は衛星画像のように高い。同じ高い評価の句の解釈でも、このようにその内容は微妙なポイントでずれてつくられてゆくものだ。
ところで、主に観光地の料理屋で、カレーのライスを富士山など土地の風景に見立てて盛る例はすくなくないと思う。その発想を見立ての句にするのは、通俗を詩に昇華する俳諧の技の妙というものだろう。例示した二氏の解釈を理解し、かつ、この句のかような巧みさを理解しながら、率直に言って私はこの句をあまり面白く感じられない。面白さも「解釈」の一部であるならば、この「好み」の差は果たしてどこからくるのだろう。また、俳句に無縁の人にとっては俳句の解釈そのものに困惑することがあるというのはしばしば聞くところである。つまり俳句には、日常言語の運用にはない特殊な解釈の型がある。俳人の多くはそれを内面化しているが、俳句を嗜まない者の言語運用の生理に対し、俳句が言語環境的に抑圧(批判的意味ではない。「抑圧」の結果は良悪様々に現れる。)するものの代表は、季語の使用義務と五七五定型の墨守であろう。そして、俳人は案外それに鈍感なような気がするが、本稿所与のテーマ「なぜ俳句には複数の解釈が存在するのか」に根本的に関わる抑圧ポイントは、「選」ではないだろうか。例えば、俳人は俳誌の投句欄や句会を修行研鑽の場とするが、そこでは他者(主に主宰)の「選」によって己の句を磨くことに意味があるだろう。その時「選」は「解釈」を前提になされるはずであり、句の「選」は「解釈」を内包する。そこでは常に類想がないかなど他の句を比較して読みがち(そこでは解釈にも型があるはずだ)であることや、なるべく句の面白さを引き出し好意的に解釈するという俳人独特の「読みの生理」が生まれてくるだろう。同時に、ほとんどの読者が作者でもある俳句にあっては、つくることに対する態度の問題が「選」を抑圧することがありうるし、「選」の数の力が「解釈」を抑圧する状況も存在することになる。例示した句を離れて言えば、無季句かどうかで読みの対象となるかどうかの線が引かれるようなことは句会や賞の審査の場でまるであたりまえのように行われている。
ここで先の句を他と比較してみよう。例えば、同じく大衆的な食に関する風景を、言われてみればその通り、という鮮やかな手際で拾い上げた類の機知の働きなら、
蠟製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ 関悦史(『六十億本の回転する曲がつた棒』)
の面白さに惹かれてしまう。この句は見立てではなく空間の広がりもないが、食堂の外のガラスケースに並んだ食品サンプルによくある小さい風景の「写生」といってもいい描写でありながら、描写の対象と用い方が空前であるために初読では超現実性を帯び、最後まで読めば季語「凍つ」の寒々しさによって昭和の場末の哀感すら招かれ、諧謔味が冴える。あるいは、
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一(『ただならぬぽ』)
この句の「ぽ」は、単体で意味を読むことは困難であり、日常の言語の運用を越えたところ(あるいは言語の原初)から読者(とその言語世界)を巻き込んで、一句として詩的言語の共同創造をする(意味を生み出す)必要を目に見える記号にして内包させた面白さをもつ。つまりはじめから一つの解釈に落とし込みにくいわかりにくさを面白さとして持っている句なのである。カレーの句にはもちろんそのようなものはない。
断っておくが、私は櫂のカレーの句の良否の判定をしようとしているわけではない。おそらく櫂は、五七五で収まらないことを厭わない関のような句はつくらないし、あらかじめ意味が与えられない記号を使う田島のような句もつくらないだろう。つくれないのではなく、カレーの句を詠むに当たってその態度を選んでいるということ。しかしこの間には深い溝があるし、私が比較して面白みを感じていたりいなかったりするように、そのまったく逆の読者もいるだろう。同じ俳句でありながら、そのようなことは常におこる。以下、その構造へ考察の視点を移す。
子規の後輩にあたり、九鬼周造や和辻哲郎と同世代の美学者である大西克礼は、日本の伝統的な芸術概念は「パントノミ―(Pantonomie)」的構造を持つと説いた。これは芸術が生活全体と密着しているようなあり方のことを言う。他にこれと対になる二項があって、宗教芸術が芸術全体の主流をなすものを「ヘテロノミー(Heteronomie)」的構造、芸術が自律し芸術のための芸術を目指すようになったものを「アウトノミー(Autonomie)」的構造と言う。大西は、西洋芸術の構造においては、「パントノミー」→「ヘテロノミー」→「アウトノミー」という展開があって芸術が自律していったが、日本においては「パントノミー」的構造が深層においてずっと持続しているという。一例をあげれば、「茶の湯」は、飲食という生活と芸術が一体化して成立している。ただ、それは単純な一体化ではなく、茶室のしつらえに端的に現れるように一旦現実から隔離(「切れ」を内包すると言えよう)された上で総合される特質があるという。さらに大西は、「パントノミー」的構造における芸術では、美的価値が倫理的価値や宗教的価値と結びついていると言う。そして西洋的な孤高の「天才」の独創による芸術とは様相が異なり、茶の湯や俳諧の座の連衆のように誰でも参加可能なものでもあって、その理想が、「型」の「稽古」を通じて「道」を極めた先に辿り着く「名人」の姿であるという。(注)
子規は、古式を排し、俳句を当時の文学芸術の(西洋中心主義的な)世界標準にしようとしていた。『俳諧大要』冒頭で「美」の多用をもって俳句を定義づけたのはそのためである。いわば俳句のための俳句、文学としての俳句を作ろうとしたのであり、子規は俳句を大西の言う「アウトノミー」的構造にしたと言うことができよう。それに対し、高濱虚子らは、「伝統」の名の下、子規の俳句に後から「パントノミー」的構造を付け足し、近世俳諧との断絶をわかりにくくした。そして大正期に勃興した知的大衆を取り込むことに成功し、虚子らは俳壇のマジョリティを形成することになる。その構造下で多くの人が参加し同じ題と同じ型の稽古をすれば、当然あまたの似た句とその更新の文脈ができあがる。その内部で師または誰からも認められた句を詠む人物が特に時の「名人」として残りうるのだろう。思うに、先の櫂のカレーの句のうまさは、誰も真似できない孤高の「天才」の仕事というより、この文化の内側の人々の思うカレーらしさの最大公約数を的確にとらえ俳句にしたてて見せる現代の「名人」を志す仕事であるように思われる。違う言い方をすれば、大西の言う「パントノミー」的な構造をそなえた、現代の俳句世界における「伝統」を構築する実践である。一方で、関や田島のつくる態度と例にあげた句からは、そのようなものは見出しにくいように思う。そこに通じるものをあげるなら、個としての俳句表現の更新の模索ということになるだろう。
子規虚子以後の俳句は、先に述べた大枠二つの構造が時勢によって強弱揺れ動きながらも一極にはならず併存して今日に至る。このことは、「伝統」の名を名乗る資格もありえた宗匠俳諧を文化の中心から排除しつつ世俗・大衆的要素の強い俳諧の発句に俳句として「近代文学」の顔をもたせ、近代国語教育によって「古典規範」として定着してきた芭蕉の系譜に連なる顔を持たせることにも成功する。そしてその後の俳人は、時代状況をさまざに汲んで表現と形式に反映させつつ、この二極構造のどこかの立ち位置から己のあるべき俳句像を模索することで多くの論点を招来し、俳句内部に多様性をもたらし、ジャンルの硬直化による衰退を免れてきたように思う。
一つの句の「解釈」の成立は、主体がその意志で行っているようでありながら、構造の中で働く言葉の力学で変わる。そもそも句の解釈に単純な正解や不正解があるわけではないはずだけれども、構造がそれを引き寄せることはある。そして、人が俳句に何を求めるかでその構造も変容するだろう。現実の世界像は、俳句の構造とは無縁に様々な背景をもつ人々の言語の運用で出来ている。思考実験としてはそれら一切を遮断し構築される純粋なテクストを仮想することもできようが、社会の中の言語実践の仕組みの複雑さを思うとき、俳句のとある一つの構造に入りきることで一種の宗教的情操を帯びるほうがわかりやすくはなるだろう。大西の用語を借りれば、それが「道」ということかと思われる。
(注)大西克礼『東洋的芸術精神』(大西克礼美学コレクション3、書肆心水、二〇一三年)参照。