俳句の自然 子規への遡行

 前に俳誌「若竹」で連載し、週刊俳句にも転載いただいていた記事のリンクです。後半からは子規の俳句分類の分析に特化していったので、すっかり俳句分類レポートになってしまい、Web上の俳句誌の読者にお見せするにはあまりにマニアック過ぎると思って転載を中断してしまったのですが、元の方は子規の俳句分類を最後まで追ったので、もっと長々と続いています。

 

第1回

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第2回~第20回(以下、降順になっています)

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第21回~第35回

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第36回~第51回

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第51回~第65回

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私家版俳諧大要現代語訳 序から第四まで

私家版俳諧大要現代語訳(序から第四まで現代語訳のみを通しで)

 

(現代語訳)

序文

ここに花山という盲目の俳諧師がいる。高名な伊勢の望一の系統は関係がなく、ただ俳句を詠んでいた。いろいろと俳句を詠んでわずか半年足にならない程度だが、その句の朗詠は美しく響いて聞くものは耳を傾けた。ある夜、彼が私の仮寓を訪ねてきて、一緒に虫の音を楽しむついでに、「私も俳句というものを詠んでみようとはするんだが、師として教えを乞える伝手もない、あなたが私のためにその心得となるはずのもろもろのことを書いてはくれまいか」と強く願い出る。私は答えて、「好いことを言うねえ。昔は、見えない者たち見えない者たち後についてきなさい【注1】とか聞いた。わたしはそんな聖人(一休宗純)を学んだわけじゃないが(その導きに倣って)、覚えている限りのことは、間違いもあろうが伝えよう、(目が見える者よりも)かえって耳だけをはたらかせる人こそ(俳句の道の)正しい悟りの手段にもなるだろう」、さあさあと筆をはしらせ少しばかりその大要のみを挙げてこれを松風会の君たちに届ける。君たち折の良い日に花山子に伝えておくれ。

 

第一 俳句の標準

一、俳句は文学の一つです。文学は美術の一部です。ですから美の標準は文学の標準なのです。文学の標準は俳句の標準です。ですから、絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説もみんな(俳句と)同じ標準で論評できるはずなのです。
一、美というものは相対的なもので、絶対的ではありません。ですからただ一つの詩、一つの絵画をとりあげて、美しいか美しくないかをあれこれを言ってもしかたがない。もしこれを言う時には記憶に残るたくさんの詩や画をとりあげて、頭の中で比較してあれこれ言うしかありませんね。
一、そもそも美の標準というものは個人個人の感情のなかにあります。そして、個人個人の感情というものは個別のものです。ですから、美の標準もまたそれぞれ個別のものです。また同じ人間でも、時間の変化とともに感情に違いが生じることがあります。ですから、同じ人間でも時の変化によって美の標準がかわることもあるのです。
一、美の標準が個人個人の感情の中にあるものとするならば、個人の生まれながらにして手に入れている美の標準というものはあるのでしょうか、ないのでしょうか。もし、うまれながらにもつ美の標準(あるいは誰もが正しいと納得する美の標準)があるとしても、その標準がどのようであるのかは(他人には)知りようがありません。したがって、(ここで言う)個々人の美の標準とどのように差があるのかは(他人には)知りえないのです。つまり、人のうまれながらにもつ美の標準(を定める天才性)などというものは、私の考える美術とはなんの関係もないものです。
一、個人個人の美の標準を比較すると、だいたい同じであるものの、その中に少しの違いがあるのに気が付くことがあります。かなり違いがあるものの中にも少し共通するところがあるとはいっても、いろいろな事実を照らし合わせて共通点をみつけると、(そのような差のある)美は、その全体を永遠という時間の流れの上で見晴らすと、だいたい同じ方向を進んでいるということがわかります。たとえば南半球から北半球に向かう船というものは、選んだ航路によってあるものは北東に向かい、あるものは北西に向かい、時間がたって真東真西に向かい、南に向かうものがあるけれど、その結果をまとめてみると、みんな南から北に向かっていることには違いないのとおなじようなものです。この(なんだかんだ結局最後はそこに向かっている美の)方向のことを先天的美の標準と呼ぼうと思えば呼べるでしょう。今、かりにこれを「概括的美の標準」と名付けます。
一、同一の人物が時間がたってその人の美の標準が変化すると、おしなべて変化後の美の標準は「概括的美の標準」に似ています。同じ時代の人の間でそれぞれ美の標準が違うとすると、おしなべて、学識のある人の美の標準は「概括的美の標準」に似ています。ただし、例外はあるので、だれでもそうなるというわけではありません。

 

第二 俳句と他の文学

一、俳句とその他の文学との区別は、(一応)韻律の違いにあります。その他の文学には一定の韻律をもつものもあり、ないものもあります。そして、俳句には一定の韻律があります。その韻律は、一般に五音・七音・五音の三句で一作品となるのですが、(調べてみると)六音・七音・五音になる時もあり、あるいは五音・八音・五音なる時もあり、あるいは六音・八音・五音になる時もあり、言い出せばそのようなちょっとした違いはたくさんあって、俳句とその他の文学は、この韻律の違いからだけでは厳密には区別できません。
一、俳句と他の文学との韻律を比較して、果たして優劣があるのかないのかというと、作品に詠む事物によって韻律にしっくりするかしないかがあるだけです。例えば、複雑になっているものごとは小説とか長篇の韻文に向いていて、単純なものごとは俳句や和歌、または短篇の韻文に向いています。シンプルで飾りがないところは漢詩の長所であり、細かくて緻密なところは欧米の詩の長所であり、やさしくておだやかであるところは和歌の長所であり、軽快でおしゃれなところは俳句の長所です。しかしながら、それは俳句がシンプルで飾りがないとか、細かくて緻密ではないとか、やさしくておだやかではない、ということではありません。他の文学もおなじことです。
一、美の標準は美の感情のなかにあります。ですから、美の感情以外のものごとは美の標準には影響しません。大勢の人がほめたたえるから必ずしも美なのではなく、上流社会で行われているから美であるというわけでもなく、神の昔にこしらえられたものだから美であるというわけでもありません。ですから、(逆に)俳句が一般人の慰みものだから美ではないわけではなく、大衆社会でポピュラーなものだから美ではないわけではなく。あなたやわたしの詠んだ句だから美ではないわけではなく、現代人の作品だから美ではないわけではありません。
一、一般に俳句と他の文学とを比較して、そこに優劣はあるのでしょうか、ないのでしょうか。漢詩を詠む人は漢詩こそが最上の文学だと思い、和歌を詠む人は和歌こそが最上の文学だと思い、戯曲や小説を好む人は戯曲や小説こそが最上の文学だと思うものです。しかしながら、これはあくまで一個人の意見にすぎません。俳句こそが最上の文学であると思う人は、これも同様に一個人の意見ではあるのですが、俳句も文学の一部に違いないのであって、まったく他の文学に劣ってはいません。このことは、美の概括的標準に照らして、筆者自身がそうであると実感したことです。

 

第三 俳句の種類

一、俳句の種類は、文学の種類とだいたい同じです。
一、俳句の種類は、さまざまな観点から類別することができます。
一、俳句を、用いられた意匠と言語(古人の言葉でいう心と姿)の二つで区別してみましょう。(そうすると)意匠には上手下手があり、言語にも上手下手があります。一方が巧みで他方が拙いものがあり、どちらも巧みなものがあり、どちらも拙いものがあります。
一、意匠と言語とを比較したとき、そこに優劣や順序はありません。単に意匠の美においてすぐれた作品があったり、言語の美においてすぐれた作品があったりするのです。
一、意匠には、つよくてすこやかなものがあり、やさしくておだやかなものがあり、大きくて立派なものがあり、デリケートなものがあり、上品で素朴なものがあり、しとやかで美しいものがあり、はかりしれないほど奥深いものがあり、やさしくわかりやすいものがあり、おごそかで重々しいものがあり、軽やかな気持ちになるものがあり、思いもよらない発想のものがあり、あっさりしているものがあり、込み入っているものがあり、シンプルなものがあり、まごころがこもっているものがあり、俗世の習慣やしきたりの流れに乗ったものがあり、その他にも区別を進めていったとすると、種々さまざまあるにちがいありません。
一、言語に区別があるのは、(先述の)意匠に区別があるのと同様です。つよくてすこやかな意匠(を意図する)には、つよくてすこやかな(内容に見合う)言語を使わないではいられませんし、やさしくておだやかな意匠には、やさしくておだやかな言語を使わないではいられません。上品で素朴な言語は上品で素朴な意匠を表すのに適しているし、やさしくわかりやすい言語はやさしくわかりやすい意匠に適しています。その他もみなその通りです。
一、意匠には主観的なものと客観的なものがあります。主観的とは作者の心の中のありさまを作品化することで、客観的とは作者の知覚や記憶のイメージに浮かんだ対象の事物を、そのまま作品にすることです。
一、意匠には自然として理解されるものと、人事として理解されるものとがあります。人事としてというのは、人間に関するすべてのものごとを作品に詠むことで、自然としてというのは、天文、地理、生物、鉱物などのすべて人事以外に関するものごとを作品に詠むことです。
一、以上の述べてきたさまざまな区別には、すべて優劣はありません。
一、以上の述べてきたさまざまな区別(の意味役割)は、あくまで比較にあたってのみのものです。ですから、この区別が厳密にその区域を限定するということはありえません。
一、一人で(ここで述べたような)さまざまな種類の変化をつくる作家がいたり、一つの種類に特化して巧みになる作家がいたりします。

 

第四 俳句と四季

一、俳句には、四季の題を詠み込みます。四季の題のないものを雑といいます。
一、俳句の四季の題は和歌以来の歌語に起源をもちますが、それより幅広いジャンルから集められています。和歌であれば四季の題はたった百にも満たないほどですが、俳句では数百におよぶ題があります。
一、俳句の四季の題は、和歌以来の歌語に起源をもちますが、それよりもっと用法を細かくしています。例えば「涼し」という語は、和歌では夏の涼味をあらわすのに用い、秋の涼味の表現にも多く使っていますが、俳句ではすべて夏に限った用語とし、秋の涼感をいうときは、初涼、新涼などを使っていたのが、今はだんだんそれらの用語も廃れて、涼の字はただ夏季専用の語となっています。
一、ただ月というと、和歌では雑となりますが、俳句では秋季となります。時雨は和歌では晩秋にも初冬にも使い、とりわけ時雨によって木の葉を(紅葉に)染めるものとして歌に詠み込まれます。俳句では時雨は初冬に限っています。ですから、時雨が葉を染める、という意味で用いられる句はほとんどありません。霜は和歌では晩秋から用いられ、加えて紅葉を促すものの一因とみなされています。俳句では霜は三冬を通して使われますが、晩秋には使いません。ですから霜は紅葉を促すものとしてみなされません。俳句季寄の書物には、秋霜の題を立項してあるけれども、その作例はほとんどみられません。
一、「梧桐一葉落」【注2】の意を詠み込んだならば、和歌でも秋季として詠んだものでしょう。俳句では桐一葉を秋季に使うだけではなく、単に桐という一語だけでも秋季で使うことがあります。鷹狩は和歌では冬季です。俳句では冬季に用いるだけではなく、ただ鷹という一語だけでも冬季に用いています。
一、四季の題で花樹、花草、木の実、草の実などはその花や実の最も多い時期によって季とするのがよいでしょう。藤の花、牡丹の花は晩春、初夏に開花するので、晩春から初夏を季とするべきです。かならず藤の花を春季、牡丹の花を夏季とする必要はありません。梨や西瓜などもまた、かならず秋季のものとする必要はありません。
一、昔からある季寄にない語も、ほぼ時候の決まっているものはその季で使うことができるでしょう。たとえば紀元節神武天皇祭など期日の決まっているものはいうまでもなく、氷店を夏季とし、焼芋を冬としてもかまいません。また、虹や雷のようなものを夏と定めるのも、可能であるでしょうか。
一、四季の題の中で、虚ろ(内容のはっきりしない)な語は(自然な流れである四季の時間の循環をあえて区切って)人為的にその意味内容の指し示す範囲を制限することが必要です。これを大きな視点でみると四季の区別のようなものがそれにあたります。春は立春立夏の間を区切り、夏は立夏立秋の間を区切り、秋は立秋立冬の間を区切り、冬は立冬立春の間を区切ります。そこで立冬を一日過ぎれば、けして秋風と詠んではいけないし、立夏を一日過ぎれば、けして春月と詠んではいけないのです。
一、長閑(のどか)、暖(あたたか)、麗(うららか)、日永、朧は春季と定め、短夜、涼(すずし)、熱(あつし)は夏季と定め、冷(ひややか)、凄(すさまじ)、朝寒、夜寒、坐寒(そぞろさむ)、漸寒(ややさむ)、肌寒、身に入(みにしむ)、夜長は秋季と定め、寒、つめたしは冬季と定めます。昼の最も長いのは夏至の前後ですが、俳句では日永を春季としています。夜の最も長いのは冬至の前後ですが、俳句は長夜(ちょうや、夜長)を秋季としています。これは道理からうまれたものではなく、感情からうまれてそのようになったものです。(とはいえ)そう決まったからには、日永と夜長は必ず春と秋にもちいるべきで、他の季と混ぜてはいけません。
一、そのほか、霞、陽炎(かげろう)、東風(こち)の春季に、薫風、雲峰(くものみね)の夏季に、露、霧、天河(あまのがわ)、月、野分、星月夜(ほしづくよ)の秋季に、雪、霰、氷の冬季にあたるようなのも、みな時期の一定するものなので、季節の題と定めてかまわないでしょう。しかし、夏季に配合して夏の霞を詠むことや、秋季に配合して秋の雲峰を詠むような類のことは、もとより差し支えることはありません。
一、四季の題をみると、その時候のあれこれを連想させることになるでしょう。例えば蝶といえば、ひらひらと羽をひろげた小さな虫が飛んで行ったり飛んで来たりする一つの小さな風景を表現するだけではなく、春がだんだん暖かくなり、草木がわずかに芽生え、野菜や麦の畑の黄緑色の広がる田園風景の中、あちらこちらに男女のグループが楽しみ遊ぶような景色を連想させるのです。この連想が働いてはじめて十七文字の宇宙に無限の美や面白味が生じるのです。ですから、四季の連想を理解しない人は永遠に俳句を理解しない人と言えます。この連想の理解力のない人が俳句を読んで中身がうすっぺらいと言うのはもっともなことです。(俳句に用いられる四季の題は俳句に固有の一種の意味内容をもっている、と言ってもかまいません)
一、雑の句は四季の連想が働かないので、中身が薄っぺらくなって声に出して味わうのにはとても耐えられない句が多いのです。ただ広く大きく、堂々として意気盛んに見える景になると、必ずしも四季の変化の表現を必要としません。ですから、時折そのような類の雑の句を見ます。昔から詠まれた雑の句が少ない中で、大方は富士山を詠んだものです。そして声に出して味わうにふさわしい句もまた、富士山の句なのです。
一、ある人が尋ねて言うことには、(自然の循環の)時間の流れを人為的に限定して名づけることで四季の題にすることはすでに考えを聞いた。(ならば)空間はどうして(同じように)人為的に限定して名づけ(季節の題にし)ないのか、と。答えて言うことには、(四季の変化の)時間というものは、毎年同じ変化を同じ順序に沿って繰り返すからこそ意味内容に区切りを入れて名づけることができるのです。しかしながら、空間の変化というものはちっとも決まった順序というものがなく、不規則なものなのです。例えば、山岳、河や海、野原、田野は、少しも決まった順序、法則性をもつものではありません。ですから、これに名づけ(区別し)ようとするならば、人間が見聞することが可能な場所にいちいち名づけをしないわけにはいかなくなります。地名とはそのようなものです。地名は時間の区別に比べるともっとはっきりした区別ですから、俳句で地名を使うのはもっとも簡単な語で最も込み入った姿かたちを表現するひとつの良い手段ではあるけれども、残念ながら一人の人間が地球上の地名とその景色をすべて知り尽くすことはできません。そのうえ、その区別がはっきりしているために、(かえって)これを使う区域がけっこう狭い感じがするのです。言い方を変えると、(時間の)四季の名称と対になる(空間の)ものには地名があげられるけれども、地名は区域がはっきりしすぎていて狭すぎ、そのうえその地の景を知らないものには何かの感情を引き起こさせることも難しいでしょう。つまり四季の変化は誰でも知ることができるけれども、東京の名所は西京(京都)の人にはわからないところが多く、西京の名所は東京の人にはわからないところが多いようなものです。

 

 

注1:一休宗純の作とされる仮名法語『水かゝみ(一休水鏡)』に、「目なしどちゞゝ、こゑについてましませ。そもゝゝみな人たちの悟とやらんいふことを悟るならひはじめに、父母もなき、とつと以前のわが身は、なにものぞ、いへきかんといふ。何として知らぬことが申さるべく候や、たヾへんてつもなきものなりと思ふべし。」(引用文は武笠三校訂『禅林法話集』 (有朋堂文庫) 昭和2刊による。縦書の繰り返し符号が使えないので「ゝ」で代用している)とあり、2025年4月改版(単独で一冊になった)岩波文庫俳諧大要』で注と解説を担当した復本一郎は、子規はこれを引いていると解している。本現代語訳もほぼこれに従って解釈を試みた。なお、「目なし」は普通に読めば盲目の人をいうので、花山が盲目であることから子規が連想したように見えるけれども、古注によると「目なし」は「人々具足の自性」(『目なし草』)、つまり一切衆生の本来の性質ということなのだという。

2:漢籍における「梧桐一葉落」の由来は明代の王象晋の漢詩『群芳譜』中の「梧桐一叶落/天下尽知秋(梧桐一葉落ちて天下ことごとく秋を知る)」が知られ、これを嚆矢とするならば比較的あたらしいもので、「和歌」との関連は別と考えるべきであろう。よく知られている梧桐に限定されない用例は、紀元前二世紀代成立の劉安『淮南子』の「見一葉落、而知歳之将暮(一葉落つるを見、歳のまさに暮れなんとするを知り)」がある。和歌における秋季と桐の葉の連関は、白居易『白氏文集』「長恨歌」中の「春風桃李花開夜/秋雨梧桐葉落時(春風に桃李の花開く夜/秋雨に梧桐の葉落つる時)」)の影響からが大きいと思われ、子規の説明はこのあたりやや雑な印象を受ける。おそらく当時のコンテクストとして「一葉」といえば「梧桐」というのが違和感なく受け入れられるものであったからかと思われる。

飯田蛇笏『山廬集』の季題類別について(初出:Web版『現代俳句』7月号)

飯田蛇笏『山廬集』の季題類別について  

 

 『山廬集』は昭和7年刊行の飯田蛇笏の第一句集であり、「山廬」は蛇笏の別号であるとともに、蛇笏・龍太二代の住居および敷地一帯の呼称として知られている。この『山廬集』本編は、いわゆる編年体の逆順で、年代別に作句の遅い順(昭和6年から明治27年以前まで)に、新年・春・夏・秋・冬の季節ごとに配列されていて、平成28年刊行の角川ソフィア文庫『飯田蛇笏全句集』もその形で『山廬集』が掲載されているのだが、初版単行本では、その本編の後ろに付録として、季題類別に句を配列し直して掲載してある(季題別の索引ではない)。この体裁は、すでに大正13年刊行の長谷川零余子『雑草』で採られており、蛇笏もこれを踏襲したものと思われる。

 ところで、この『山廬集』では、一般に普及した歳時記では多く秋に分類されている「七夕」、「花火」(ホトトギス系の歳時記では秋季に分類)、「墓参」、「盂蘭盆会」、「霊祭」、「林檎」、「朝顔」が夏に分類されている。先の角川ソフィア文庫版全句集の季題別索引では、同社出版の歳時記と季寄にあわせて季題を分類しているので、元の『山廬集』の季題分類とずれているものは作家の分類意識が無視された形で載ってしまっていることになる。簡単に言えば、同文庫中では、「山廬集」で夏に載っている句が、巻末の索引では秋になっているものがある。もちろんこの『山廬集』の分類は、現行のホトトギス系の歳時記類とも合致していない。

 なぜこのようなずれが生じているのだろうか。先に述べてしまえば、おそらくこの頃の蛇笏が、新時代のあるべき季節感の模索の試みの影響を部分的に受けていたからだろうと推測される。その試みというのは、具体的には、太陽暦に準拠して編纂された「ホトトギス大正8年1月号の「特別付録 写生を目的とする季寄せ」などのことを言う。同季寄せは、ホトトギス発行所編集部がまとめた体裁ではあるが、当然このころの虚子自身の意志が反映されていたと考えられる。いわゆる新暦太陽暦)への移行を大胆に試みたもので、その序文には以下のようなことが書いてある。

 

本季寄せは初学者が句作をする場合の便宜を第一の目的として拵えた。従つて写生に適せない題は省いてしまつた

 

暦はすべて太陽暦を用ゐた。季題を全然太陽暦にし度いといふ希望は誰にもあり乍ら、過渡期のかなしさに其を断行する勇気を皆欠いていた。此季寄せは其を敢行した。自然無理も伴つてゐる。併し其無理から生ずる欠陥よりも敢行したところから享くる利益の方が遙に多いことを確信する。

 

新年は冬季の中に入れてしまつた。新年は太陽暦では春季の中に籠められてゐたが、太陽暦になつて後ち別に切り離されて独立した。これは過渡期として止むを得ぬことであつた。併し厳密に之をいへば、新年は当然冬季の中に包含さるべきものである。況して四季の感を権威とする俳句の立場からいつたら、これを冬季の一人事と見るが当然である。唯此の季寄せにあつては冬季の他のものと区別する為めに新年の季題に限つてゴシツクを用ゐた。これは単に見易い為めの用意である。(中略)

 

此季寄せに完備を求むるのは無理である。完備は此季寄せの目的では無い。目的は寧ろ大鉈を揮つて無用な題を抹殺し去つたところにある。(中略)其代り初学者が句作の場合題を選択するのは此季寄せにあるものを以つて十分とする(以下略)。

※引用者注:引用の漢字は常用に改めている(以下同様)。

 

 このように、大正時代の俳句の初学者に向けて、という体で太陽暦の歳時記を編むということは、旧暦による生活習慣上とのずれがたいして邪魔にならないような都市生活者を中心とする読者層にむけて、無理に旧暦に合わせる必要は無いから気軽に俳句を詠んでみるといいよ、という啓蒙的・勧誘的なメッセージ性を内包することになるだろう。大正は、そのような知的大衆が多く俳句に参加してきた時代でもある。そしてこの季寄せでは、新年の季題を冬に入れるというなかなか大胆なことを行っている。
 さらに、おそらくこの「ホトトギス」の太陽暦採用を意識してと思われるが、『俳諧例句新撰歳時記』(明治41年初版)が版を60も重ねたのを機に稿を改めて『詳解例句纂集歳時記』(大正15年初版)に出すにあたって、編者の今井柏浦は「現俳壇の傾向を察して英断を試みた」と述べ、季題の分類を変更して歳時記を編集し直すにあたり、「凡例」で以下のように書いている。

 

 季題の中で、陽暦と陰暦と地方によりて異なる行事は、概ね陽暦の例に倣ひ、また動植物の中に季を改めたものがある、即ち仏生会を春へ、秋の七夕、盂蘭盆会、草市、中元、施餓鬼、墓参、霊祭、燈籠、花火、朝顔、西瓜、河鹿などを夏へ、秋の猪を冬へ、冬の十夜、芭蕉忌、嵐雪忌、夷講、御取越、御命講等を秋へ入れた。之等の革新は編者の意見のみによらず、現俳壇の傾向を察して英断を試みたものであるが、大分難しい計画でもあり、又、それだけ謬見もあらうかと思ふ、しかし版を重ねる毎に訂すべきは正すことを忘れない。

 

 今井柏浦は、今や忘れられた存在だろうが、明治から昭和にかけて俳句関連の書物を複数編集出版した人物であり、明治38年に、『明治一万句』という子規以降の新派(ホトトギス派)の諸俳人の新聞雑誌等に掲載された句を網羅的に収集してまとめた類題句集を出版して以降、昭和に至るまで同様のアンソロジーを複数出し続けた熱心な新派の例句の収集者であった。

 しかし、この季寄せの発表後に「ホトトギス」系の作家の出した句集をみてみると、長谷川零余子『雑草』(大正13年刊)では例えば「花火」「朝顔」「西瓜」が秋、嶋田青峰『青峰集』(大正14年刊)では「七夕」「墓参」「朝顔」が秋に入っていて、いずれも太陽暦ではなく旧暦による分類で句集を纏めていることがわかる。零余子も青峰もともに「ホトトギス」の編集に携わった俳人だが、自分の句集をまとめるにあたっては、必ずしもその方針通りであることにこだわっていないことがわかるのだが、そうすると蛇笏の新暦に従った分類のほうが奇妙ということになり、浮いて見えてくる。さらにおもしろいのは、夏と秋の季題についてはかように太陽暦に寄せた蛇笏が、新年の季題についてはこれを冬とせず、他の作家同様章立てしていることである。

 ところで、『山廬集』刊行からわずか二年後の昭和9年、虚子は『新歳時記』を編集刊行し、太陽暦から旧暦へと針を振り直してしまうのだが、そのときにも月別にまとめて新年の章を立てないので、何か不思議なこだわりを感じさせる。ちょっと面白いのは、それよりずっと前の大正4年刊行の『虚子句集』で、四季の後にきちんと「新年」の章を立項しているにもかかわらず、句集の冒頭の「春」の「一月」に一つだけある例句が「正月や去年の日記尚机辺」という「正月」の句であることで、後年、虚子はこの句の「正月」を「一月」に改めている。なにやらいろいろばたばたしているようであり、虚子を含めて、大正は模索の時代であったということができるのかもしれない。

 西村睦子『「正月」のない歳時記―虚子が作った近代季語の枠組み』に拠ると、「ホトトギス」は雑詠のアンソロジーをまとめるにあたっても、大正昭和初期までは太陽暦を採用しているが、何の前触れもなく昭和9年に虚子が『新歳時記』を出し、突如旧暦に戻しているのだという。西村氏はこれを「ホトトギス」離反を契機に台頭した水原秋桜子「馬酔木」やその支持者らへの対抗手段と見ているのであるが、仮にその通りであるとして、もしそのようなことが起きなければ、虚子あるいは蛇笏らの季題分類意識がどのように変転したものかは興味深い。言い換えれば、あたかも昔から決まっていたかのような「伝統」の顔をし始める前の、さまざまな可能性がそこにはあったということになるのだろう。そのひとつの現れとして、飯田蛇笏の第一句集『山廬』の中には、太陽暦に準じた季題の類別意識が混在しており、出版からさして間もない時期の虚子の方針転換のために、まるでそれがなかったことのように見落とされてきたのである。

私家版俳諧大要現代語訳(第四 俳句と四季)

(原文)

第四 俳句と四季

一、俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものを雑と言ふ。
一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその区域を広くしたり。和歌にありては題目の数僅々一百に上らず。俳句にありては数百の多きに及べり。
一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例へば「涼し」と言へる語は和歌には夏にも用ゐまた秋涼にも多く用ゐたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、秋涼の意には初涼、新涼等の語を用ゐしが、今は漸くにその語も廃れ涼の字はただ夏季専用の者と為れり。即ち一題の区域は縮小したると共にその意味は深長と為りたるなり。
一、単に月と称すれば和歌にては雑となるべし。俳句にては秋季となるなり。時雨は和歌にては晩秋初冬共にこれを用う。殊に時雨を以て木葉を染むるの意に用う。俳句にては時雨は初冬に限れり。従ひて木葉を染むるの意に用うる者殆んどこれなし。霜は和歌にては晩秋よりこれを用ゐ、また紅葉を促すの一原因とす。俳句にては霜は三冬に通じて用うれど晩秋にはこれを用ゐず。従ひて紅葉を促すの一原因となさず。俳句|季寄の書には秋霜の題を設くといへども、その作例は殆んど見るなし。
一、梧桐一葉落の意を詠じなば和歌にても秋季と為るべし。俳句にては桐一葉を秋季に用うるのみならず、ただ桐と言ふ一語にて秋季に用うる事あり。鷹狩は和歌にても冬季なり。俳句にては鷹狩を冬季に用うるのみならず、ただ鷹と言ふ一語も冬季に用うるなり。
一、四季の題目にて花木、花草、木実、草実等はその花実の最多き時をもつて季と為すべし。藤花、牡丹は春晩夏初を以て開く故に春晩夏初を以て季と為すべし。必ずしも藤を春とし牡丹を夏とするの要なし。梨、西瓜等また必ずしも秋季に属せずして可なり。
一、古来季寄になき者もほぼ季候の一定せる者は季に用ゐ得べし。例へば紀元節神武天皇祭等時日一定せる者は論を俟たず、氷店を夏とし焼芋を冬とするも可なり。また虹の如き雷の如き定めて夏季と為す、あるいは可ならんか。
一、四季の題目中|虚(抽象的)なる者は人為的にその区域を制限するを要す。これを大にしては四季の区別の如きこれなり。春は立春立夏の間を限り、夏は立夏立秋の間を限り、秋は立秋立冬の間を限り、冬は立冬立春の間を限る。即ち立冬一日後敢て秋風と詠ずべからず、立夏一日後敢て春月と詠ずべからず。
一、長閑、暖、麗、日永、朧は春季と定め、短夜、涼、熱は夏季と定め、冷、凄、朝寒、夜寒、坐寒、漸寒、肌寒、身に入、夜長は秋季と定め、寒、つめたしは冬季と定む。日の最長きは夏至前後なり、しかれども俳句にては日永を春とす。夜の最長きは冬至前後なり、しかれども俳句にては長夜を秋とす。これは理屈より出でずして感情に本づきたるの致す所なり。かく一定せし上は日永夜長は必ず春秋に用うべし。他季に混ずべからず。
一、その外霞、陽炎、東風の春における、薫風、雲峰の夏における、露、霧、天河、月、野分、星月夜の秋における、雪、霰、氷の冬におけるが如きもまた皆一定する所なれば一定し置くを可とす。しかれども夏季に配合して夏の霞を詠じ、秋季に配合して秋の雲峰を詠ずるの類は固より妨ぐる所あらず。
一、四季の題目を見れば則ちその時候の聯想を起すべし。例へば蝶といへば翩々たる小羽虫の飛び去り飛び来る一個の小景を現はすのみならず、春暖漸く催し草木僅かに萌芽を放ち菜黄麦緑の間に三々五々士女の嬉遊するが如き光景をも聯想せしむるなり。この聯想ありて始めて十七字の天地に無限の趣味を生ず。故に四季の聯想を解せざる者は終に俳句を解せざる者なり。この聯想なき者俳句を見て浅薄なりと言ふまた宜なり。(俳句に用うる四季の題目は俳句に限りたる一種の意味を有すといふも可なり)
一、雑の句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟誦に堪へざる者多し。ただ勇壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間々この種の雑の句を見る。古来作る所の雑の句極めて少きが中に、過半は富士を詠じたる者なり。しかしてその吟誦すべき者、また富士の句なり。
一、或人問ふて曰く、時間を人為的に限りてこれに命名し以て題目となす事は既に説を聞けり。空間は何故に制限してこれに命名せざるか。答へて曰く、時間は年々同一の変化を同一の順序に従ひて反覆するが故にこれを制限して以て命名すべし。しかれども空間の変化は毫も順序なる者あらずして不規則なる者なり。例へば山嶽、河海、郊原、田野、一も順序ある者なし。故にこれに命名せんと欲せば人間の見聞し得る所の処一々に命名せざるべからず。地名これなり。地名は時間の区別に比して更に明瞭なる区別なれば、俳句に地名を用うるは最簡単なる語を以て最錯雑なる形象を現はすの一良法なりといへども、奈何せん一人にして地球上の地名とその光景とを尽く知るを得ず。かつその区別明瞭なるが故にこれを用うるの区域|甚だ狭隘を感ずるなり。他語以てこれをいへば四季の名称に対する者は地名なりといへども、地名は区域明瞭に過ぎて狭隘に失し、かつその地を知らざる者には何らの感情をも起さしむる事かたし。即ち四季の変化は何人も能くこれを知るといへども、東京の名所は西京の人これを知らざる者多く、西京の名所は東京の人これを知らざる者多きが如きなり。

 

(現代語訳)

第四 俳句と四季

一、俳句には、四季の題を詠み込みます。四季の題のないものを雑といいます。
一、俳句の四季の題は和歌以来の歌語に起源をもちますが、それより幅広いジャンルから集められています。和歌であれば四季の題はたった百にも満たないほどですが、俳句では数百におよぶ題があります。
一、俳句の四季の題は、和歌以来の歌語に起源をもちますが、それよりもっと用法を細かくしています。例えば「涼し」という語は、和歌では夏の涼味をあらわすのに用い、秋の涼味の表現にも多く使っていますが、俳句ではすべて夏に限った用語とし、秋の涼感をいうときは、初涼、新涼などを使っていたのが、今はだんだんそれらの用語も廃れて、涼の字はただ夏季専用の語となっています。
一、ただ月というと、和歌では雑となりますが、俳句では秋季となります。時雨は和歌では晩秋にも初冬にも使い、とりわけ時雨によって木の葉を(紅葉に)染めるものとして歌に詠み込まれます。俳句では時雨は初冬に限っています。ですから、時雨が葉を染める、という意味で用いられる句はほとんどありません。霜は和歌では晩秋から用いられ、加えて紅葉を促すものの一因とみなされています。俳句では霜は三冬を通して使われますが、晩秋には使いません。ですから霜は紅葉を促すものとしてみなされません。俳句季寄の書物には、秋霜の題を立項してあるけれども、その作例はほとんどみられません。
一、「梧桐一葉落」(※注)の意を詠み込んだならば、和歌でも秋季として詠んだものでしょう。俳句では桐一葉を秋季に使うだけではなく、単に桐という一語だけでも秋季で使うことがあります。鷹狩は和歌では冬季です。俳句では冬季に用いるだけではなく、ただ鷹という一語だけでも冬季に用いています。
一、四季の題で花樹、花草、木の実、草の実などはその花や実の最も多い時期によって季とするのがよいでしょう。藤の花、牡丹の花は晩春、初夏に開花するので、晩春から初夏を季とするべきです。かならず藤の花を春季、牡丹の花を夏季とする必要はありません。梨や西瓜などもまた、かならず秋季のものとする必要はありません。
一、昔からある季寄にない語も、ほぼ時候の決まっているものはその季で使うことができるでしょう。たとえば紀元節神武天皇祭など期日の決まっているものはいうまでもなく、氷店を夏季とし、焼芋を冬としてもかまいません。また、虹や雷のようなものを夏と定めるのも、可能であるでしょうか。
一、四季の題の中で、虚ろ(内容のはっきりしない)な語は(自然な流れである四季の時間の循環をあえて区切って)人為的にその意味内容の指し示す範囲を制限することが必要です。これを大きな視点でみると四季の区別のようなものがそれにあたります。春は立春立夏の間を区切り、夏は立夏立秋の間を区切り、秋は立秋立冬の間を区切り、冬は立冬立春の間を区切ります。そこで立冬を一日過ぎれば、けして秋風と詠んではいけないし、立夏を一日過ぎれば、けして春月と詠んではいけないのです。
一、長閑(のどか)、暖(あたたか)、麗(うららか)、日永、朧は春季と定め、短夜、涼(すずし)、熱(あつし)は夏季と定め、冷(ひややか)、凄(すさまじ)、朝寒、夜寒、坐寒(そぞろさむ)、漸寒(ややさむ)、肌寒、身に入(みにしむ)、夜長は秋季と定め、寒、つめたしは冬季と定めます。昼の最も長いのは夏至の前後ですが、俳句では日永を春季としています。夜の最も長いのは冬至の前後ですが、俳句は長夜(ちょうや、夜長)を秋季としています。これは道理からうまれたものではなく、感情からうまれてそのようになったものです。(とはいえ)そう決まったからには、日永と夜長は必ず春と秋にもちいるべきで、他の季と混ぜてはいけません。
一、そのほか、霞、陽炎(かげろう)、東風(こち)の春季に、薫風、雲峰(くものみね)の夏季に、露、霧、天河(あまのがわ)、月、野分、星月夜(ほしづくよ)の秋季に、雪、霰、氷の冬季にあたるようなのも、みな時期の一定するものなので、季節の題と定めてかまわないでしょう。しかし、夏季に配合して夏の霞を詠むことや、秋季に配合して秋の雲峰を詠むような類のことは、もとより差し支えることはありません。
一、四季の題をみると、その時候のあれこれを連想させることになるでしょう。例えば蝶といえば、ひらひらと羽をひろげた小さな虫が飛んで行ったり飛んで来たりする一つの小さな風景を表現するだけではなく、春がだんだん暖かくなり、草木がわずかに芽生え、野菜や麦の畑の黄緑色の広がる田園風景の中、あちらこちらに男女のグループが楽しみ遊ぶような景色を連想させるのです。この連想が働いてはじめて十七文字の宇宙に無限の美や面白味が生じるのです。ですから、四季の連想を理解しない人は永遠に俳句を理解しない人と言えます。この連想の理解力のない人が俳句を読んで中身がうすっぺらいと言うのはもっともなことです。(俳句に用いられる四季の題は俳句に固有の一種の意味内容をもっている、と言ってもかまいません)
一、雑の句は四季の連想が働かないので、中身が薄っぺらくなって声に出して味わうのにはとても耐えられない句が多いのです。ただ広く大きく、堂々として意気盛んに見える景になると、必ずしも四季の変化の表現を必要としません。ですから、時折そのような類の雑の句を見ます。昔から詠まれた雑の句が少ない中で、大方は富士山を詠んだものです。そして声に出して味わうにふさわしい句もまた、富士山の句なのです。
一、ある人が尋ねて言うことには、(自然の循環の)時間の流れを人為的に限定して名づけることで四季の題にすることはすでに考えを聞いた。(ならば)空間はどうして(同じように)人為的に限定して名づけ(季節の題にし)ないのか、と。答えて言うことには、(四季の変化の)時間というものは、毎年同じ変化を同じ順序に沿って繰り返すからこそ意味内容に区切りを入れて名づけることができるのです。しかしながら、空間の変化というものはちっとも決まった順序というものがなく、不規則なものなのです。例えば、山岳、河や海、野原、田野は、少しも決まった順序、法則性をもつものではありません。ですから、これに名づけ(区別し)ようとするならば、人間が見聞することが可能な場所にいちいち名づけをしないわけにはいかなくなります。地名とはそのようなものです。地名は時間の区別に比べるともっとはっきりした区別ですから、俳句で地名を使うのはもっとも簡単な語で最も込み入った姿かたちを表現するひとつの良い手段ではあるけれども、残念ながら一人の人間が地球上の地名とその景色をすべて知り尽くすことはできません。そのうえ、その区別がはっきりしているために、(かえって)これを使う区域がけっこう狭い感じがするのです。言い方を変えると、(時間の)四季の名称と対になる(空間の)ものには地名があげられるけれども、地名は区域がはっきりしすぎていて狭すぎ、そのうえその地の景を知らないものには何かの感情を引き起こさせることも難しいでしょう。つまり四季の変化は誰でも知ることができるけれども、東京の名所は西京(京都)の人にはわからないところが多く、西京の名所は東京の人にはわからないところが多いようなものです。

 

【※訳者注:漢籍における「梧桐一葉落」の由来は明代の王象晋の漢詩『群芳譜』中の「梧桐一叶落/天下尽知秋(梧桐一葉落ちて天下ことごとく秋を知る)」が知られ、これを嚆矢とするならば比較的あたらしいもので、「和歌」との関連は別と考えるべきであろう。よく知られている梧桐に限定されない用例は、紀元前二世紀代成立の劉安『淮南子』の「見一葉落、而知歳之将暮(一葉落つるを見、歳のまさに暮れなんとするを知り)」がある。和歌における秋季と桐の葉の連関は、白居易『白氏文集』「長恨歌」中の「春風桃李花開夜/秋雨梧桐葉落時(春風に桃李の花開く夜/秋雨に梧桐の葉落つる時)」)の影響からが大きいと思われ、子規の説明はこのあたりやや雑な印象を受ける。おそらく当時のコンテクストとして「一葉」といえば「梧桐」というのが違和感なく受け入れられるものであったからかと思われる。】

 

私家版俳諧大要現代語訳(第三 俳句の種類)

(原文)

 

第三 俳句の種類

 

一、俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ。
一、俳句の種類は種々なる点より類別し得べし。
一、俳句を分ちて意匠及び言語(古人のいはゆる心及び姿)とす。意匠に巧拙あり、言語に巧拙あり。一に巧にして他に拙なる者あり、両者共に巧なる者あり、両者共に拙なる者あり。
一、意匠と言語とを比較して優劣先後あるなし。ただ意匠の美を以て勝る者あり、言語の美を以て勝る者あり。
一、意匠に勁健なるあり、優柔なるあり、壮大なるあり、細繊なるあり、雅樸なるあり、婉麗なるあり、幽遠なるあり、平易なるあり、荘重なるあり、軽快なるあり、奇警なるあり、淡泊なるあり、複雑なるあり、単純なるあり、真面目なるあり、滑稽突梯なるあり、その他区別し来れば千種万様あるべし。
一、言語に区別あるは意匠に区別あるが如し。勁健なる意匠には勁健なる言語を用ゐざるべからず。優柔なる意匠には優柔なる言語を用ゐざるべからず。雅樸なる言語は雅樸なる意匠に適し、平易なる言語は平易なる意匠に適す。その他皆然り。
一、意匠に主観的なるあり、客観的なるあり。主観的とは心中の状況を詠じ、客観的とは心象に写り来りし客観的の事物をそのままに詠ずるなり。
一、意匠に天然的なるあり、人事的なるあり。人事的とは人間万般の事物を詠じ、天然的とは天文、地理、生物、礦物等、総て人事以外の事物を詠ずるなり。
一、以上各種の区別皆優劣あるなし。
一、以上各種の区別皆比較的の区別のみ。故に厳密にその区域を限るべからず。
一、一人にして各種の変化を為す者あり、一人にして一種に長ずる者あり。

 

 

(現代語訳)

 

第三 俳句の種類

一、俳句の種類は、文学の種類とだいたい同じです。
一、俳句の種類は、さまざまな観点から類別することができます。
一、俳句を、用いられた意匠と言語(古人の言葉でいう心と姿)の二つで区別してみましょう。(そうすると)意匠には上手下手があり、言語にも上手下手があります。一方が巧みで他方が拙いものがあり、どちらも巧みなものがあり、どちらも拙いものがあります。
一、意匠と言語とを比較したとき、そこに優劣や順序はありません。単に意匠の美においてすぐれた作品があったり、言語の美においてすぐれた作品があったりするのです。
一、意匠には、つよくてすこやかなものがあり、やさしくておだやかなものがあり、大きくて立派なものがあり、デリケートなものがあり、上品で素朴なものがあり、しとやかで美しいものがあり、はかりしれないほど奥深いものがあり、やさしくわかりやすいものがあり、おごそかで重々しいものがあり、軽やかな気持ちになるものがあり、思いもよらない発想のものがあり、あっさりしているものがあり、込み入っているものがあり、シンプルなものがあり、まごころがこもっているものがあり、俗世の習慣やしきたりの流れに乗ったものがあり、その他にも区別を進めていったとすると、種々さまざまあるにちがいありません。
一、言語に区別があるのは、(先述の)意匠に区別があるのと同様です。つよくてすこやかな意匠(を意図する)には、つよくてすこやかな(内容に見合う)言語を使わないではいられませんし、やさしくておだやかな意匠には、やさしくておだやかな言語を使わないではいられません。上品で素朴な言語は上品で素朴な意匠を表すのに適しているし、やさしくわかりやすい言語はやさしくわかりやすい意匠に適しています。その他もみなその通りです。
一、意匠には主観的なものと客観的なものがあります。主観的とは作者の心の中のありさまを作品化することで、客観的とは作者の知覚や記憶のイメージに浮かんだ対象の事物を、そのまま作品にすることです。
一、意匠には自然として理解されるものと、人事として理解されるものとがあります。人事としてというのは、人間に関するすべてのものごとを作品に詠むことで、自然としてというのは、天文、地理、生物、鉱物などのすべて人事以外に関するものごとを作品に詠むことです。
一、以上の述べてきたさまざまな区別には、すべて優劣はありません。
一、以上の述べてきたさまざまな区別(の意味役割)は、あくまで比較にあたってのみのものです。ですから、この区別が厳密にその区域を限定するということはありえません。
一、一人で(ここで述べたような)さまざまな種類の変化をつくる作家がいたり、一つの種類に特化して巧みになる作家がいたりします。

私家版俳諧大要現代語訳(第二 俳句と他の文学)

(原文)

 

第二 俳句と他の文学


一、俳句と他の文学との区別はその音調の異なる処にあり。他の文学には一定せる音調あるもあり、なきもあり。しかして俳句には一定せる音調あり。その音調は普通に五音七音五音の三句を以て一首と為すといへども、あるいは六音七音五音なるあり、あるいは五音八音五音なるあり、あるいは六音八音五音なるあり、その他無数の小異あり。故に俳句と他の文学とは厳密に区別すべからず。
一、俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。ただ風詠する事物に因りて音調の適否あるのみ。例へば複雑せる事物は小説または長篇の韻文に適し、単純なる事物は俳句和歌または短篇の韻文に適す。簡樸なるは漢土の詩の長所なり、精緻なるは欧米の詩の長所なり、優柔なるは和歌の長所なり、軽妙なるは俳句の長所なり。しかれども俳句全く簡樸、精緻、優柔を欠くに非ず、他の文学また然り。
一、美の標準は美の感情にあり。故に美の感情以外の事物は美の標準に影響せず。多数の人が賞美する者必ずしも美ならず、上等社会に行はるる者必ずしも美ならず、上世に作為せし者必ずしも美ならず。故に俳句は一般に弄ばるるが故に美ならず、下等社会に行はるるが故に不美ならず。自己の作なるが故に美ならず、今人の作が故に不美ならず。
一、一般に俳句と他の文学とを比して優劣あるなし。漢詩を作る者は漢詩を以て最上の文学と為し、和歌を作る者は和歌を以て最上の文学と為し、戯曲小説を好む者は戯曲小説を以て最上の文学と為す。しかれどもこれ一家言のみ。俳句を以て最上の文学と為す者は同じく一家言なりといへども、俳句もまた文学の一部を占めて敢て他の文学に劣るなし。これ概括的標準に照して自ら然るを覚ゆ。

 

 

(現代語訳)

 

第二 俳句と他の文学

一、俳句とその他の文学との区別は、(一応)韻律の違いにあります。その他の文学には一定の韻律をもつものもあり、ないものもあります。そして、俳句には一定の韻律があります。その韻律は、一般に五音・七音・五音の三句で一作品となるのですが、(調べてみると)六音・七音・五音になる時もあり、あるいは五音・八音・五音なる時もあり、あるいは六音・八音・五音になる時もあり、言い出せばそのようなちょっとした違いはたくさんあって、俳句とその他の文学は、この韻律の違いからだけでは厳密には区別できません。
一、俳句と他の文学との韻律を比較して、果たして優劣があるのかないのかというと、作品に詠む事物によって韻律にしっくりするかしないかがあるだけです。例えば、複雑になっているものごとは小説とか長篇の韻文に向いていて、単純なものごとは俳句や和歌、または短篇の韻文に向いています。シンプルで飾りがないところは漢詩の長所であり、細かくて緻密なところは欧米の詩の長所であり、やさしくておだやかであるところは和歌の長所であり、軽快でおしゃれなところは俳句の長所です。しかしながら、それは俳句がシンプルで飾りがないとか、細かくて緻密ではないとか、やさしくておだやかではない、ということではありません。他の文学もおなじことです。
一、美の標準は美の感情のなかにあります。ですから、美の感情以外のものごとは美の標準には影響しません。大勢の人がほめたたえるから必ずしも美なのではなく、上流社会で行われているから美であるというわけでもなく、神の昔にこしらえられたものだから美であるというわけでもありません。ですから、(逆に)俳句が一般人の慰みものだから美ではないわけではなく、大衆社会でポピュラーなものだから美ではないわけではなく。あなたやわたしの詠んだ句だから美ではないわけではなく、現代人の作品だから美ではないわけではありません。
一、一般に俳句と他の文学とを比較して、そこに優劣はあるのでしょうか、ないのでしょうか。漢詩を詠む人は漢詩こそが最上の文学だと思い、和歌を詠む人は和歌こそが最上の文学だと思い、戯曲や小説を好む人は戯曲や小説こそが最上の文学だと思うものです。しかしながら、これはあくまで一個人の意見にすぎません。俳句こそが最上の文学であると思う人は、これも同様に一個人の意見ではあるのですが、俳句も文学の一部に違いないのであって、まったく他の文学に劣ってはいません。このことは、美の概括的標準に照らして、筆者自身がそうであると実感したことです。

私家版俳諧大要現代語訳(第一 俳句の標準)

(原文)

 

第一 俳句の標準

一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。
一、美は比較的なり、絶対的に非ず。故に一首の詩、一幅の画を取て美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は胸裡に記憶したる幾多の詩画を取て暗々に比較して言ふのみ。
一、美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情|相異なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。
一、美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。もし先天的に存在する美の標準(あるいは正鵠を得たる美の標準)ありとするも、その標準の如何は知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。即ち先天的標準なるものは吾人の美術と何らの関係を有せざるなり。
一、各個の美の標準を比較すれば大同の中に小異なるあり、大異の中に小同なるありといへども、種々の事実より帰納すれば全体の上において永久の上においてほぼ同一方向に進むを見る。譬へば船舶の南半球より北半球に向ふ者、一は北東に向ひ一は北西に向ひ、時ありて正東正西に向ひ時ありて南に向ふもあれど、その結果を概括して見れば皆南より北に向ふが如し。この方向を指して先天的美の標準と名づけ得べくば則ち名づくべし。今|仮りに概括的美の標準と名づく。
一、同一の人にして時に従ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして各個美の標準を異にすれば、一般に学問知識ある者の標準は概括的標準に近似する者なり。但し特別の場合には必ずしも此の如くならず。

 

 

(現代語訳)

 

第一 俳句の標準

一、俳句は文学の一つです。文学は美術の一部です。ですから美の標準は文学の標準なのです。文学の標準は俳句の標準です。ですから、絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説もみんな(俳句と)同じ標準で論評できるはずなのです。
一、美というものは相対的なもので、絶対的ではありません。ですからただ一つの詩、一つの絵画をとりあげて、美しいか美しくないかをあれこれを言ってもしかたがない。もしこれを言う時には記憶に残るたくさんの詩や画をとりあげて、頭の中で比較してあれこれ言うしかありませんね。
一、そもそも美の標準というものは個人個人の感情のなかにあります。そして、個人個人の感情というものは個別のものです。ですから、美の標準もまたそれぞれ個別のものです。また同じ人間でも、時間の変化とともに感情に違いが生じることがあります。ですから、同じ人間でも時の変化によって美の標準がかわることもあるのです。
一、美の標準が個人個人の感情の中にあるものとするならば、個人の生まれながらにして手に入れている美の標準というものはあるのでしょうか、ないのでしょうか。もし、うまれながらにもつ美の標準(あるいは誰もが正しいと納得する美の標準)があるとしても、その標準がどのようであるのかは(他人には)知りようがありません。したがって、(ここで言う)個々人の美の標準とどのように差があるのかは(他人には)知りえないのです。つまり、人のうまれながらにもつ美の標準(を定める天才性)などというものは、私の考える美術とはなんの関係もないものです。
一、個人個人の美の標準を比較すると、だいたい同じであるものの、その中に少しの違いがあるのに気が付くことがあります。かなり違いがあるものの中にも少し共通するところがあるとはいっても、いろいろな事実を照らし合わせて共通点をみつけると、(そのような差のある)美は、その全体を永遠という時間の流れの上で見晴らすと、だいたい同じ方向を進んでいるということがわかります。たとえば南半球から北半球に向かう船というものは、選んだ航路によってあるものは北東に向かい、あるものは北西に向かい、時間がたって真東真西に向かい、南に向かうものがあるけれど、その結果をまとめてみると、みんな南から北に向かっていることには違いないのとおなじようなものです。この(なんだかんだ結局最後はそこに向かっている美の)方向のことを先天的美の標準と呼ぼうと思えば呼べるでしょう。今、かりにこれを「概括的美の標準」と名付けます。
一、同一の人物が時間がたってその人の美の標準が変化すると、おしなべて変化後の美の標準は「概括的美の標準」に似ています。同じ時代の人の間でそれぞれ美の標準が違うとすると、おしなべて、学識のある人の美の標準は「概括的美の標準」に似ています。ただし、例外はあるので、だれでもそうなるというわけではありません。